精神の彩色


 実際の体験によって精神は彩られる。まず行動すべき。机上論の人格で、意識と現象の距離が長くなると、何が正しいのかわからないことがある。土着的な人にはそういうことはない。デジタル思考よりはアナログ思考のほうが本来の知能の使い方に近い。心に見える範囲が広い。仕事はデジタル、それ以外はアナログが理想かな。
 主観性にこそ芸術の本体は宿る。普遍的にするのは客観的分析によるもの。行動があり分析がある、というのが動物的だ。普遍性とは咀嚼された知識量によるもの(十分条件と必要条件)。しかし本質ではなく定義の行使でそれを形作るようであってはそれは獲得できない。蓮台にも乗れまい。

 觀念的思考よりは、感覚によって精神の彩色は彩られる。食べたものとか夏の夜に見た夢とか。方法を練られているものにも音楽療法、足の裏つぼマッサージ、座禅、瞑想、青春回帰療法、いくらでもあるがそれらの感覚は精神に積み重ねられている。快い色調で彩るためには気持ちのよいものを選ぶといい。
 人間は神に創造された。人間の笑顔は神の喜びである。それが自然精神の望むところだから。病んでないものが本質で、人生長くないとそれが普通すぎてわからない。人間は喜ぶために生きている。やがて人生よりはるかに長い歴史といふ慣性の流れによって自然を失い退廃するが、本来自然の中に生きることがエデンだったものである。それを思い出すべきである。
 霊の色彩は人それぞれで、後光の走るほど精神性の高い人や、淡い色彩で優しい人や、相容れない色でマーブル調の人もいる。自分の心は自分で決めることができるのに人に影響を受けてしまいなかなか調和しないことがよくある。
 世界観というのは霊性に起因するもののようで、自分が何に引かれるかはによる。苦労している人は人の不幸話に共感し、謳歌している人は遊び場を求める。精神、霊性が高まればよきものに魅かれ、悪感情に支配されたままでは忌まわしきものに引かれる。
 軌道修正するヒントを見いだしたら追求してみる。捉えることができたら大切にする。言葉に編み上げるのもあり。それを読み上げて膨らむようになるとうれしい。精神の年輪をよきもので紡いでいきたい。


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