中庸が一番

 [一]に[止]まると書いて[正]という方便を聞きました。中庸とは大陽と月の位置関係のよう。お釈迦さまは、対機説法をよく使ったようだ。「神はすべて、ほら世界はなんと美しいではないか、あぁ全知全能の神よハレルヤハレルヤ」という妄信の人には「神はいない。この世に神は存在しない」と説いて、「証明してみろ神なんてどこにいるんだアホか」という人にはその逆のことを説いた。スジャータにミルク粥を飲ませられた死にかけたお釈迦様は、苦行だけでは悟りを開くのは無理だと悟ったことから中庸の重要さを知ったのかな。
 またアリストテレスは『ニコマコス倫理学』のなかで、人間の行為や感情における超過と不足を調整する徳として中庸Golden Meanを挙げた。例えば、勇気は蛮勇や臆病の中間的な状態である時はじめて徳として現れる。アリストテレスによれば、この両極端の中間を知る徳性が思慮(フロネーシス、実践知)であるらしい。-Wiki-



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